蔵というのは一種の厳かな雰囲気がある。
酒というものが神と近い存在だからかもしれない。
ならばたくさん酒を飲んだ人ほど神に近い存在なのではないか。
翻って己のことを思うと、そろそろ神かもしれないのではないかと感じる。
酔って記憶をなくした私のことを、「カラッポイッコン」などと
揶揄する不届き者がいるが、必ずや天罰を受けることだろう。
あれはある種のトランス状態を含む神事であることがわかっていないのである。
私はもはや俳聖などに興味はない。
なぜなら神だからだ。
※よい病院があればご紹介いただきたい。
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