謎の俳句の会 - A mystery haiku club in Tokyo
忌憚なきところを申し述べます。変な句です。破綻しています。夏の季語と秋の季語がごっちゃになっているだけでなく、上五、中七、下五がバラバラにあるだけです。
ホントだ。麦とろは秋の季語ですね。迂闊でした。作り直します。麦とろに陽を味わいて幸を知る上五と中七はつながっております。麦とろはとろろ汁の表現替えですので、本来はとろろのほうが主ですが、麦とろは麦飯なくして成立しません。麦も山芋も太陽の恵みなくして得られないもので、麦とろを食べながら、太陽を味わい、陽の光に感謝しているのです。「空に太陽がある限り、君(麦)と僕(とろろ)は二つで一つ」なわけで、麦とろを食べることで、太陽の恩恵に預かってきた農耕の民・日本人に生まれたことの幸せを思うと同時に、麦とろという素朴ながらも贅沢な食べ物が食べられる幸せを改めて実感するわけです。
さらに最初の投句を補足させていただきますと、上五と中七とのつながりは上記の通り。下五の「麦秋や」の使用についてです。麦秋の表現ができる元となった、黄熟した麦がいっぱいに広がる麦畑の風景(それも陽の光の下で)を、麦とろを食べながら「麦秋や」とロマンティックに思い浮かべている句です。決して上中下はバラバラではありません。言葉足らずの句であったことは否めませんが、句意を読み取ろうという姿勢なく、バラバラで破綻していると両断されてしまうのは不本意でございます。
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忌憚なきところを申し述べます。変な句です。破綻しています。夏の季語と秋の季語がごっちゃになっているだけでなく、上五、中七、下五がバラバラにあるだけです。
ホントだ。麦とろは秋の季語ですね。迂闊でした。作り直します。
麦とろに陽を味わいて幸を知る
上五と中七はつながっております。麦とろはとろろ汁の表現替えですので、本来はとろろのほうが主ですが、麦とろは麦飯なくして成立しません。麦も山芋も太陽の恵みなくして得られないもので、麦とろを食べながら、太陽を味わい、陽の光に感謝しているのです。
「空に太陽がある限り、君(麦)と僕(とろろ)は二つで一つ」なわけで、麦とろを食べることで、太陽の恩恵に預かってきた農耕の民・日本人に生まれたことの幸せを思うと同時に、麦とろという素朴ながらも贅沢な食べ物が食べられる幸せを改めて実感するわけです。
さらに最初の投句を補足させていただきますと、上五と中七とのつながりは上記の通り。
下五の「麦秋や」の使用についてです。
麦秋の表現ができる元となった、黄熟した麦がいっぱいに広がる麦畑の風景(それも陽の光の下で)を、麦とろを食べながら「麦秋や」とロマンティックに思い浮かべている句です。
決して上中下はバラバラではありません。言葉足らずの句であったことは否めませんが、句意を読み取ろうという姿勢なく、バラバラで破綻していると両断されてしまうのは不本意でございます。
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